2015年3月14日土曜日

ゲームナラティブ教育の過去・現在・未来

ゲームのナラティブ(物語)についての議論が盛りあがりを見せている.ただしバズワード化しているためにナラティブ論を敬遠している人も少なくないようだ.本記事ではゲーム教育の立場から,なぜナラティブを避けて通れないのかを考えてみたい.

ナラティブは最近の流行ではない

まず,ゲーム開発においてナラティブは最近の流行語ではない点を確認したい.オンラインで英語のGDD(ゲームデザインドキュメント)を検索してみると,ゲームデザインの説明でナラティブについて当たり前のように説明されている.つまりナラティブはゲーム研究者だけが使う学術用語でも最新作のゲームデザインでもなく,ゲーム開発で広く使われている一般用語である.そして,この用語がゲームの学校教育や社内研修で教えられるようになったのは最近のことではなく,10年ほど昔のことだ.

ゲーム教育におるナラティブ重点化: 2008年

本ブログの親団体であるIGDAは,ゲーム開発者の育成カリキュラムを集めて「IGDAカリキュラムフレームワーク」をまとめている.これは定期的に改訂されており,2008年に出たVersion3.2の日本語訳は「デジタルコンテンツ制作の先端技術応用に関する調査研究報告書」の付録として無料公開されている.このゲーム開発者が学ぶべき内容の中に,「ナラティブ」も記載されている.
  上記カリキュラムでナラティブ項目が含まれているのは,どんな職種のゲーム開発者も学んでおくべき「コア科目」の中の「批判的ゲーム研究」分野である.「コア科目」ということは,ようするにナラティブはゲーム開発者育成プログラムの必修範囲だと言うことになる.
 この「IGDAカリキュラムフレームワーク」は,ゲーム専攻のある学校で導入されているだけでなく,学校に通わずに自分で学ぶ社会人や学生にも読まれてきた.したがって,10年近く前から世界のゲーム開発者はナラティブについて学んできたと考えてよい.近年ナラティブが話題になっているのは,こうした学校教育でナラティブを習得した世代が第一線で活躍をはじめたこと,また他の要素が成熟期に入ったためにナラティブ要素でゲームの違いを見せやすくなったことがあげられる.

誰がナラティブを教えるのか

では,どうやってナラティブ(物語)を学べばいいのか.ゲームナラティブの教育はおおまかに第一世代第二世代とに分けることができる.第一世代は物語学(ナラトロジー),つまり文学理論で学んだ世代.そして第二世代はゲーム研究成立以後の世代で,文学理論を経由せずにはじめからゲーム研究で学んだ世代である.
  第一世代の歴史は古く,ゲーム研究の最初期にさかのぼることができる.IGDA日本ではかつて学生ボランティアがゲーム研究初期の入門記事「Computer Game Research 101(コンピュータゲーム研究入門)」を翻訳公開したことがある(当時の記事のアーカイブ).この2004年の「コンピュータゲーム研究入門」の中にその後のナラティブ研究の先祖の文学研究が登場するので,以下に簡単にまとめてみる.
 まず,デジタルゲーム研究の最初期にAdventureZorkなどのテキストアドベンチャーゲームに注目した文学研究者がいた.そして時代を経て同じ文学研究の関心から「インタラクティブフィクション」や「デジタルストーリーテリング」の研究が登場した.これらのポストモダン文学研究者によるゲーム研究は,ビデオゲームをアカデミックな研究対象として論じた最初の事例でもあった.つまり,ゲームナラティブ研究はアカデミックなゲーム研究のはじまりから存在していた古典的な問題である.
  日本ではゲームのストーリーテリング論は単発の新書レベルに止まっていたが.英米では大学出版局からインタラクティブフィクション論やデジタルストーリーテリング論が出版され,それをもとに多くの大学教員が大学でゲームを論じるようになった.たとえば2006年2004年出版のFirst Personは,そうした物語論やデジタルメディア論の論客を集めた論文集だが,ナラティブという言葉がキーワードの一つになっている.
  こうして物語論でゲームを語れるようになった一方で,文学研究とは異なるゲーム学を構想する学派も登場する.その筆頭がイェスパー・ユールで,彼の修士論文「A clash between game and narrative(ゲームと物語との衝突)」,そして博士論文「Half Real」はゲーム研究独自の可能性を検討したものだ.これが第二世代の幕開けとなる.こうしたゲーム研究シーンが日本に伝えられたのは国際会議DiGRA2007が東京で開催されたあたりで,当時の状況は『智場』2006年12月号に掲載された「[研究動向]──発展するゲーム学──」というインタビュー記事をオンラインでも読むことができる.第一世代はゲームをまず物語として(のみ)扱っていたが,第二世代以後の英語教科書では,物語はゲームの構成要素の一つとして教えられている.
 ここまで見てきたように,英語圏ではゲーム研究成立以前からゲームのナラティブについて議論されてきた.2008年版のIGDAカリキュラムフレームワークでナラティブが必修扱いになり,多くの学校がそれに対応できた背景にはこのような蓄積がある.それに対して日本では体系的なゲーム開発者教育が進まなかったために,ゲームのナラティブは2013年に出てきた最新のテーマであるかのように広まった側面がある.

ゲームナラティブ教育の実際

ではゲームのナラティブは学校現場でどのようにして教えられてきたのだろうか.先に述べたように,IGDAカリキュラムフレームワーク(2008年版)では,ナラティブは「批判的ゲーム研究」の課題の一つとして教えられている.この「批判的研究」とはゲームを真似るのではなくゲームについて批判的に思考することを学ぶものだ.これを全世界の教育機関に普及させるためにGDCは大きな役割を果たしている.それがIGDA Writers SIGと北米の有力大学そしてGDCとの連携により毎年開催されている学生ナラティブ分析コンテスト「GDC Game Narrative Review」だ(GDC2015でのプレスリリース発表).過去には受賞したナラティブ分析がGamasutraに掲載されたこともあるが,現在では優秀作は内容をポスター一枚にまとめてGDCで2日間展示発表したあと,分析ドキュメントと発表ポスターとがオンラインで公開されるようになった.
  こうして,夏休みの読書感想文コンクールのように,世界各地のゲームデザイン専攻の学生がGDCで発表することを目指して,授業の一環としてゲームナラティブ分析を競っている.このコンテストは各地のゲーム教育を統一する上で大きな役割を果たしてきた.過去の優秀作はウェブサイトからダウンロードして読んでみると,優秀作を参考にしながらいまやどの大学でも分析スタイルが統一化されている.
  著者は大学の今年度授業で英語教科書を使ったゲームデザインの講義をしつつ(オンラインで学外から受講してくれたゲームデザイナのみなさんに感謝),ゼミでナラティブ分析の受賞作を読んでみたが,同年代による優秀作が公開されているのは非常に学習効果が高いと感じている.
こうしてナラティブ分析のスキルが形式化されることでゲームナラティブはゲームデザイナの職人技から形式知へと変容した.そして高等教育の普及にともなって,ゲーム産業が発展途上の国やゲーム開発実績のない人でも使える概念になっている.(過去のGDCでは,ブラジルの学生による『侍道3』のナラティブ分析も採択されている.)

ゲームナラティブ教育の今後

GDC Game Narrative Review」を授業に取り入れることでゲームのナラティブ教育は統一化されつつあるが,これにはある程度のバイアス(偏り)がでることも事実である.受賞作を読んでもう一つ気がつくことは,日本のゲームのナラティブ分析が例年のように受賞していることだ.ペルソナ4,ヴァンパイアセイヴァー,すばらしきこのせかい,ファイナルファンタジー,メタルギアなどジャンルも多岐に渡る.これは日本のゲームをとりあげたいという教育上のバイアスがある.
 たとえば教師の立場に立ったとしたら,授業の課題でプレイに時間がかかる超大作は敬遠したいし,批判的分析能力を養うためには(隙が無いタイトルよりも)長所短所をあげやすいタイトルを勧めたくなる.(たとえばGDC2015の受賞作にはGDCゲームオブザイヤーを受賞したThe Last of Usのポスター発表もあったが,長所だけが前面にでてしまっていた.)一方これに対して,「この作品にはこういう長所があるかわりにこんな短所もあり,それらの両方から学ぶことができる」といったJRPGの批判的分析の方が読み物としておもしろい.そして分析する学生にとっても,審査員の目にとまりやすい,競合しない作品を選ぼうというバイアスがあると考えられる.
 こうしたバイアスはあるにせよ,日本のゲームのナラティブ分析がGDCで例年選出されていることは注目に値する.いわば日本のゲームを解説できる英語ボランティア軍団を海外の大学が育成しているようなものであり,今後日本のゲームがナラティブ要素で付加価値をつけて世界に輸出できる可能性を示している.たとえば2014年アカデミック・レビュー(前編)で紹介したように,国内のゲームナラティブ研究者がIndieGoGoでナラティブ研究の資金を集めることに成功したのは,日本のゲームのナラティブへの海外の関心の高さを示している.エースコンバットとかメタルギアといった日本のゲームでのナラティブ研究が国際学会で採択を重ね,学会の外でも多くの人々に支援されたことは心強い.

まとめ

最後に本記事の内容をふりかえる.まずゲームならではのナラティブ論は近年の流行ではなく,前世紀のテキストアドベンチャーの頃から論じられている.最初の世代はゲームを文学理論で(のみ)分析しようとしたが,ゲーム学・ゲーム研究が成立してからはナラティブはゲームの要素の一つとして扱われるようになった.
 ゲームナラティブ教育の普及により,ゲームを真似るのではなく批判的に分析する教育が世界各地の教育機関で行われている.この題材として日本のゲームがしばしばとりあげられており,今後も日本のゲームのナラティブを分析することで次世代のゲーム開発者が腕を磨くことが期待される.また,国内大学院生が国際学会で活躍していることから,日本のゲームのナラティブは教科書レベルにとどまらず第一線の研究レベルでも有望な領域だと言える.

追記: GDC報告会

GDC2015が終わったところで,次はGDC報告会・CEDEC発表申込締切りとゲーム研究開発のサイクルはまわり続けます.3月下旬のGDC報告会では,アカデミックSIGからも当ブログ主筆の山根が発表する予定です.

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