2010年3月9日火曜日

ゲームと社会の関わり: ゲーム脳を振り返る

本記事では「ゲーム脳の恐怖」をめぐる数年間の議論の歩みを振り返り,学術動向も含めたゲームと社会との関わりについて展望したい.

学会がついに「ゲーム脳」を批判?

2010年1月9日の読売新聞で,学会が「ゲーム脳」を取り上げたと報道された.
脳機能を画像化する装置の発展で、脳に関する非科学的な俗説が広まっていることから、日本神経科学学会(津本忠治会長)は8日、新たに研究者が守るべき注意点を盛り込んだ研究倫理指針を発表した。
(略)ゲームに熱中すると、脳の前頭前野の働きが低下する「ゲーム脳」になるといった研究などが、科学的検証を受けずに流布。発表時には科学的根拠を明確にするよう求めた。また、実験で被験者へのインフォームド・コンセント(説明と同意)が十分ではない研究者が目立つとして、人権への配慮を徹底すべきだと指摘した。
「ゲーム脳」など脳研究で俗説、倫理指針を改定 神経科学学会」(2010年1月9日 読売新聞.強調は引用者.)
『ゲーム脳の恐怖』の出版によってマスコミや教育論に「ゲーム脳」という言葉がまん延したが,権威ある学会が「ゲーム脳」を「科学的検証を受けずに流布した」ものだと問題視したとすれば,これは前例がない事態である.これまで,ゲーム脳は「非科学的」「ニセ科学」だという指摘は個々の学者によって積み上げられてきた(ニコニコ大百科「ゲーム脳」からいくつかリンクされている)が,それらは学会レベルの批判ではなかった.

しかし結論から言えば,この学会の倫理小委員会の指針の対象にはゲーム脳は含まれてはおらず,記事のゲーム脳の部分は誤報に近いと言える.詳しく説明しよう.学会のウェブサイトで指針を確認したところ,この指針は近年の非侵襲的研究(脳機能イメージングやゲノム解析など)の発展に伴う問題を対象としている.しかしゲーム脳の場合は,独自の簡易脳波計を使っており,エレクトロニクスや統計解析といった近年の技術をそもそも使っていない.このために科学的な検証を行う学会の範囲外となっている.
この指針は朝日新聞共同通信も報道しているが,そこには「ゲーム脳」の文字はない.これらの点を考慮すると、読売新聞には脳科学分野の動向がわかる記者がいなかったのではないかと考えられる。

科学者からの情報発信

「ゲーム脳」は科学の土俵ににあげることが難しい教育論だった.しかし,マスコミがゲーム脳をとりあげるにつれ,犯罪報道で「容疑者の自宅にはゲームが山積みだった!」「通り魔はリュックにゲームをしのばせていた!!」といった印象報道が乱発されるようになった.こうした短絡的な「ゲーム脳」ブームに対して,科学者の側からはどのような議論があったのか.学者による代表的な著述をあげておこう.
それぞれ異なる立場から発言(もしくは執筆)されているが,こうした問題点の指摘が積み上げられたことで学術的には「ゲーム脳の恐怖」が支持されていないことははっきりしている.この中には実際に脳研究に関わっていない科学者も含まれる.つまり「ゲーム脳の恐怖」を根拠薄弱と判断するには高度の専門的な訓練は必要なく,異分野でも共有できる科学リテラシーで判断可能であることを示している.

産業界での議論

 こうして学術的な情報発信が進む一方で,ゲーム産業の側にも社会との関わりについてアクションが起こった.上記の専門家の著述だけでなく,CEDEC2005でもラウンドテーブルが開かれた(GameWatch報道).権威のある人に発言してもらうだけでなく,ゲームを通じて社会と関わる職業人が議論のために集まったことは意義深い.たとえゲーム脳ブームが過ぎてもまた新たな根拠なき狂騒が繰りかえされるようでは意味がない.迷信ブームを繰り返さないために,将来はゲーム脳に限らずニセ科学に騙されないだけのリテラシーを社会が共有する方が望ましい.また偉い権威に頼むだけではゲーム産業自体の無力なポジションは変わらないので,産業自体が社会機能の一部として機能し社会的意義を認知されること望ましいだろう.
 ゲーム脳騒ぎにはじまったこのような社会的な取り組みはその後も続いている.経産省の「ゲーム産業戦略」(2006)では経産省とゲーム業界が東大で記者会見を行うという前例のないパフォーマンスを行ったが,そこでもゲーム脳ブームについて言及されている.ゲーム業界は業界団体としての歴史も浅いが,こうして社会の中で役割を果たす産業としての認知と理解を高める道を歩み出したと言える.
ゲーム脳ブームへの批判はこうした真面目な取り組みも生み出した.こうした連帯活動や社会的な取り組みは今後も進むだろう.それは他の成長産業がこれまで通ってきた道でもある.

今後の展望

 しかし従来の産業とくらべても,ゲーム産業が社会的に認知され,社会的な役割を果たすということは一筋縄ではいかないだろう.
 ゲーム産業は複雑なポジションに置かれている.ゲーム産業はプラットフォーマーやソフトウェアカンパニーとして,あるいはライフスタイルの変革者として,そしていわゆるコンテンツ産業の優等生として,多くの顔を持つ産業である.さらに最近では,社会的政治的に多大な影響力を持つ健康産業,自己啓発産業,著作権産業との接点も無視できない.こうした各方面からの期待あるいは反発,さらに各業界の抱える問題が持ち込まれやすいのがゲーム産業のポジションである.
 言い換えれば,健康問題・著作権侵害・オンライン詐欺・輸出低迷・その他社会の病理は、(ゲーム業界固有の問題であるかないかに関わらず)ゲーム業界が抱える問題としてこれからも問題視されるだろう.
 しかしゲームと社会との関わりは単に問題が複雑化するだけでなく,新たな社会を開く可能性も秘めている.最後にアメリカでの事例も紹介しておこう.アメリカではゲーム規制を推進する政治運動やゲーム規制に反対するロビー活動が盛んだが,それ以外にもゲームと社会とをめぐる新たな展開が出てきた.
 昨年アメリカではオバマ政権の教育ゲームコンペの呼びかけにESAやSCEAが協賛して大統領声明でもゲーム企業の名前があげられている.とりわけ,ゲーム企業がそれまで進めてきた日頃の人材育成やゲームコンテストがそのままオバマ政権の取り組みにつながっていることの意義は大きい.ゲーム産業やゲーム教育機関が掲げたビジョンがそのまま政権に援用されるという事態はこれまでに無かったものであり,今後のオバマ政権下でのゲーム産業の展開が注目される.

その後の議論

 本記事ではゲーム脳の議論を振り返り、ゲーム研究開発や脳研究に取り組んできた専門家がとったアクションの進展について概括した。
 冒頭で触れた読売新聞科学部も,その後で掘り下げた記事を掲載している.「気になる! 見極め大切、脳科学神話」(2010年1月22日 読売新聞)でゲーム脳にとどまらず(学会が本来想定していた)脳の迷信を解説紹介している.さらに脳トレの根拠が検証されていないという近年の議論も紹介している.
「脳トレ?脳トレの効果は科学的に実証されているんじゃないの?」
...と思われる読者も多いだろう.だが「脳トレ」関連ゲームの根拠はまったく無いというわけではないが薄弱である.週刊誌にもとりあげられたように,いまゲームの産学連携で問題視されているのはむしろ「脳トレ」ブームである.「脳トレ」の問題点や改善点はすでに本稿であげた参考文献の一部でも指摘されているが、そうした脳トレブームに対するアカデミックな議論については海外の反響とともに別のところで紹介したい.


(日大YouTubeチャンネル「ゲーム脳からの開放」, 30分. 2008)

3 件のコメント:

  1. 長崎大学教育学部のテキスト『疑似科学とのつきあいかた』(2010)の事例研究でもゲーム脳がとりあげられています。
    将来「ゲームのやりすぎはよくない」と注意する立場になるであろう教育学部の学生がゲーム脳や「水からの伝言」の教育論としての誤りについて学ぶのは有意義だと言えます。
    http://astro.edu.nagasaki-u.ac.jp/~masa/pseudoscience.html

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  2. 脳トレについて続きを書く前に一流誌で脳トレ検証記事が出ました。
    http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3778
    やはり、という感じではありますが、ゲーム研究者にとって脳トレは脳科学者よりもさらに複雑な問題があります。
    続きはまた後日。

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  3. 脳トレの科学的根拠をめぐる反論については,「2010年度のゲーム研究を振り返る」の中でまとめて紹介しました.
    http://igdajac.blogspot.com/2011/04/2010.html

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