2015年1月1日木曜日

2014年アカデミックレビュー: 新世代のゲーム研究(前編)

本稿では2014年の国内外でのゲーム研究(体系的な学問としてのゲーム学)をふりかえりたい.(あくまで個人的な観測にもとづくものなので、数年前から続いていたものでようやく筆者の目にとまったものも含まれている.)

ゲーム教育番組の高度化

ゲーム研究はもともとオンラインコミュニティ活動が活発だが,今年は特に教育面で良質なオンラインコンテンツが多く見られた.ゲーム学に入門するには,これまでは学術書から入るのが一般的だった(たとえばIGDA日本で過去に紹介したコンピュータゲーム研究の出発点(2004)など参照).しかし,Red Bull Music Academy がネット公開した『Diggin' in the Carts ディギン・イン・ザ・カーツ』はhally氏ら研究者の協力により,ゲーム音楽の系列的体系的な理解をひろく伝えることに成功した.
 そして,さらに無視できなくなったのが,大学レベルのゲームの専門講義がオンラインで受講できるようになったことだ.これは今年の本ブログ記事「大学講義のオープン化とゲーム開発者教育 」でも紹介して筆者も取り組んでいるところだが,2014年には単に研究を学ぶだけでなく,一般向けのゲーム番組にもゲーム研究の成果がひろがりつつある.
  アメリカの公共放送ネットワークPBS(Public Broadcasting Service)が配信するネット番組(YouTubeチャンネル)が「PBS Digital Studios」である。この看板プログラムであるゲーム番組「PBS Game/Show」でゲーム研究の概念が続出して驚かされた.この番組のホストは元Wall Street Journalの文化欄記者でウェブサイト「Kill Screen 」を立ち上げた人物だが,ゲーム研究が研究者や学生だけでなく,そうした番組制作者にも広まっている.
 たとえば2014/11/04に公開された「What is a game? And why it matters!」は「ゲームとは何か?」というゲーム原論を扱っているが,大学教科書に出てくる基本を押さえながら game abstractionists と game formalists といったゲーム研究の論争についても紹介し,さらに研究者Jesper Jull(イェスパー・ユール)が所属先まで含めて紹介された.そして出てくる例がインディーのアドベンチャー・ゲーム「Gone Home」(2013)だったり「ジョン・ケージは音楽なのか?」いう現代音楽だったりと,ゲーム学や芸術論を活用しながらインディーゲームを紹介することに成功している.これを公共放送でやれるのがすごい.
  これはアメリカのインテリ層内部の特殊な事例に見えるが,実は世界的なゲーム研究シーンにつながっている.もともとイェスパー・ユールはヨーロッパの博士研究者だが,彼の学術書はすべてアメリカで出版されている。それがアメリカの番組で新作ゲームとともに登場するということは、これはアメリカ人のごく一部の話というよりは、むしろゲーム学の世界市場(グローバルマーケット)になっている。この世界市場ではもはやヨーロッパの研究,アメリカの新作ゲームといった区別なく接続され、地域で区別することに意味がなくなりつつある.(この他にもTL Taylorもヨーロッパで博士号をとってアメリカに就職したが,彼女も韓国のeSportsを調査してアメリカで出版するというグローバルな研究を進めている.)

若手ゲーム研究者の台頭

ゲーム研究は研究者の新たな挑戦によって前進していく.そしてかつての挑戦者もいつしかのりこえるべき旧体制となり,次世代の研究者からの挑戦を受ける.今年の国内のゲーム研究シーンでは,これまでに見かけなかったタイプの若手研究者を何人か見かけることができた.
 今年ブレイクしたのは,NAISTの大学院生Yap氏だ.クラウドファンディングIndieGoGoで自らのゲーム研究の学会発表業績や出資者への特典をアピールし,見事に研究旅費の調達に成功した.これまでゲームのドキュメンタリー映画が資金調達に成功したことはあったが,博士の研究で資金調達して見せたのはすごい.博士論文は2017年完成予定ということでまだ本体となる論文は発表されていないが,自分の研究にはこれだけの価値があるんだと社会にアピールできる新世代の研究スタートが強く印象に残った.
  この他にも,今年は東京藝術大学の大学院の博士審査で,ビデオゲームがテーマの博士論文が審査対象にあがっている.藝大もNAISTもゲーム研究の拠点があるわけではないが,むしろこれまでの国内のゲーム研究者にない可能性を期待させる。

日本発のゲーム概念のグローバル化

上記の番組でインディーゲーム「Gone Home」を語るのにゲーム原論が参照されるように,日本にも高度な説明が必要な実験的なゲームが存在する.それはこれまで日本語でしか説明できないと思われていたが,いまや日本発のゲームであってもも先に英語論文が出るようになっている. たとえば2014年には同人ソフト「はーとふる彼氏」が日本語・英語対応でSteam配信,E3出展,PS4&Vita移植と快進撃を見せたが,ゲーム研究の分野では、カーネギーメロン大学ETCが出版する論文誌Well Played 第3巻第2号で(2012)すでに英語版Hatoful Boyfriendの脱構築に関する英語論文が出ている.
 ちなみにこの第3巻第2号は「奇妙なゲーム特集」で、クソゲー(kusoge)概念の説明があり(個人的にはちょっと物足りない)、「たけしの挑戦状」の論考もあり,日本のゲームの影響を受けた「かたわ少女」までとりあげており,背景を知らない英語読者でも日本のゲーム用語や同人ゲームが持つ可能性に触れることができる.ゲーム学のグローバル化により,いまやの同人ゲームやゲーム用語も英語マーケットで流通するようになっている. こうした日本のゲームの背後にある文化や独自の理論を輸出するときに、ゲーム研究が果たしてきた役割は大きい。

研究キーワードの一般化

アカデミックなゲーム研究者には,過去のゲームについて調べるだけでなく,これまでにない新たなアイデアを提出することも求められる.そうしたゲーム研究の概念は誰にも使ってもらえないこともあれば,流行語になることもある。
 個人的には、2014年になってゲームデザインの「ナラティブ」,ゲーム音楽の「ダイジェティック」が学術用語から離れて広く使われていることに気がついた。 これらの用語の共通点としては,過去の文学理論・芸術論の用語がゲーム研究の論文に導入され,やがて独自の意味で使われるようになったことだ.
(以下,後編に続く)

1 件のコメント:

  1. 本記事の後編として予告していた,2014年の国内ゲームデザイン方面での「ナラティブ」の流行,そしてゲーム音楽領域での「ダイジェティック」の流行については,文章が長くなったのでそれぞれ別の記事にしました.
    「ゲームナラティブ教育の過去・現在・未来」(2015年3月)
    「ゲームサウンド研究の成立」(2015年5月)
    2015年もよい年になりますように.

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