2012年1月10日火曜日

Global Game Jamの登場と注目を受ける背景

2011年に東京工科大学で開催された「GGJ東京」で、スタートに合わせて、新清士が、基調講演「国内外のゲーム産業と教育事例」をさせていただいています(USTREAMアーカイブ)。その講演要旨は文部科学省の報告書に収録されています。以下にその全文を転載しておきます。

なぜ、Global Game Jamが注目すべき重要なイベントなのか、どういう背景から登場することになったのかを紹介している内容です。なぜ、インディゲームはこの10年で台頭してくるようになったのか、GGJに近いコンセプトへと発展することになったカーネギーメロン大学のプロジェクトなどを紹介させていただいています。
長文ではありますが、ご参照いただければ幸いです。

----------------------------------------

■文部科学省ポータルサイトの 東京工科大学グループ成果報告「平成22年度 産学連携による実践型人材育成事業−専門人材教育推進プログラム−」 報告書「ゲーム産業における実践的OJT/OFF-JT 体感型教育プログラム」より

4.2 国内外のゲーム産業と教育事例
− GGJ2011 東京サイト 基調講演主旨 −


IGDA 日本支部 新 清士

今回開催される Global Game Jam2011 に、日本から150名もの参加があるということは、今後世界のゲーム史を見てみても、極めて重要な出来事として記憶される可能性が高い。
というのも、今年はゲーム産業、ゲーム開発において、大きなパラダイム・シフトがまさに起きつつある時期だからである。パラダイムとは「世界をどのように見るか」、パラダイム・シフトとは「世界の見方、とらえ方が変わる」ということである。パラダイム・シフトが起きているときは、それに巻き込まれている人は、パラダイム・シフトが起きていること自体自覚することが極めて難しい。

ゲーム産業に関しては、パラダイム・シフトは常に、新たなコンソールマシンの開発と、そのハードウェアの特徴を活かしたゲームタイトルによってもたらされた、いわば「企業側からの提案」として起こってきた。このパラダイム・シフトに関与するには、企業側にいなければ関与することはできない。しかし、Global Game Jamは、自分さえ望めば誰でもこのパラダイム・シフトに関与できるという、これまでに無かったイベントである。

Global Game Jamの重要度は、現状のゲーム開発をとりまく様々な問題や危機意識を共有する、特に現場のクリエイターから認知が広がってきており、これはユーザの不満とも合致する。企業ではなく、ゲームに実際に触れる側に充満したムードが、一気にシンクロクロニシティをよび、一気に勢いづくタイミングなのである。

といっても、Global Game Jamで、コンソール機の開発が行われるわけではない。参加者はいつも手慣れたツールや開発環境を使い、主にPC上で動作するゲームを作る。出来上がったゲームは専用のwebサイトにアップロードし、ユーザがこれをダウンロードしてプレイするというイベントである。しかも、これが直接ビジネスになるわけではない。

にも関わらず、なぜこの世界同時多発イベントがこれだけ注目すべき存在なのだろうか。これを理解するには、ここ10年ほどのゲーム開発をめぐる動向を俯瞰する必要がある。


■欧米におけるインディーズゲームの胎動

1998年頃、欧米ではある種のムーブメントが起きていた。MODというPCゲーム向け開発環境が広まり、ユーザは既に売り物のPCゲームの一部を改変することが可能となった。また、これらはビジネス化しない限り、自由に使用することができた。
これにより、基本エンジン部分はそのままに、見た目が全く違うゲームなどを、エンドユーザが自ら作り出すことができ、合法・違法を問わずこれらが交換され、ゲームマニアの間で爆発的なブームを呼ぶこととなる。当然ながら、こうした楽しみ方はコンソールゲームでは不可能である。

とはいえ、この編集・開発作業は決して容易ではなく、相当な知識と労力を要する。これでビジネスをするわけでもないのに、なぜMODが盛り上がる上がるのかが、学者の間でも謎であった。しかし、その答えは当事者に聞けば極めてシンプルである。
単純に、ゲームを作ることが楽しい、カスタマイズすることが楽しい、そのツールを学ぶ学習プロセス自体が楽しい、それ以上でもそれ以下でもないのである。しかし、これにより、新しいゲームのアイデアや、ビジュアライズの手法など、クリエイティブなアイデアがユーザ側から巻き起こり、企業が販売するパッケージにまで影響が及んだと言われている。日本でいえば、いわば同人誌やインディーズ音楽が、いつしかメインストリームになるようなものと理解すればよいだろう。

MITのエリック・フォン・ヒッペルは、「イノベーションの民主化」という研究において、「イノベーションは、企業が提供する商品やサービスの中に起こすのではなく、むしろリード・ユーザ側が起こすものである。」という説を打ち出したが、MODのブームはこの学説を裏付ける好例といえる。
(参考文献: エリック・フォン・ヒッペル(著),サイコム・インターナショナル(翻訳)「民主化するイノベーションの時代」,ファーストプレス)

■企業が提供するものが「コンソール機」から「開発環境」「ビジネス環境」へ

日本のコンソール機向けゲームが世界中で人気になり、ゲームにおける映像や音響がともに高品質化するにつれ、ゲーム開発の現場は大規模化と分業化が進んでいった。さらにその環境は、NDAなどで厳しくコントロールされ、極めてクローズドな状況の中で行われてきた。こうした流れは、ユーザ主導でゲームを面白くするMODのムーブメントと相反するというるだけでなく、新規のゲームクリエイターが産業界に参加するのが困難な状況を産み、ある種のフラストレーションが高まっていた時代でもある。

このような状況の中、Microsoft社がサンフランシスコで開催されたGame Developers Conference でこの状況を一変させる発表を行う。これまで、マルチメディア・アプリケーション開発向けとして提供していたDirectXというライブラリを基盤に、ゲーム開発をより容易に行うことのできるライブラリ「XNA」を無償で公開する決定を行った。この開発環境で開発したゲームは、同社のコンソール機ですぐにプレイできるだけでなく、インターネットを利用して開発したゲームをユーザに届けることもできる。
これまで、DirectXを用いてPCゲームを制作していたアマチュア制作者や、日本のコンソール機に採用されたくてもなかなかリーチできなかった欧米のベンチャー企業にとってはまさに福音である。これにより、欧米の若き才能が一気にMicrosoft社のプラットフォームに流れ込むことになり、ゲーム開発の裾野が大きく広がった。
ただ、この環境でビジネスまで行うには、やはりゲームをパッケージ化して販売する手法が圧倒的であり、それなりの規模の企業がハードコアゲーマー向けに開発したパッケージに人気が集中することになる。

XNA のリリースが 2006年までずれ込む中、別の潮流が企業側から提案された。美麗なグラフィクス、プレイに何十時間もかかるような重厚なストーリーではなく、5分程度で気軽に行えるゲームと、それにみあった手軽なコンソール機である。
一方、携帯電話のマルチメディア化も進み、ゲームプラットフォームとして認知が広がるようになる。これらのゲームは「カジュアル・ゲーム」と呼ばれるようになり、これまでのゲームファンとは違う顧客層として注目されるようになってきた。
また、重厚長大な開発規模が不要なことも、特にベンチャー企業などから注目を集めるようになる。

これに呼応するように、スマートフォンを一気に定着させたApple社は、2007年 AppStore をオンライン上に開設した。従来、開発環境がオープンだった Apple社では潜在的なゲーム開発者も多かったが、これにより開発したゲームをそのままオンライン・ストアにて販売することができるようにな る。

一方、ブラウザ上でのマルチメディア処理、インタラクティブ処理が技術的に可能となるだけでなく、インターネットに接続していることが前提の環境であることから、ブラウザ上でのゲーム開発と新たなビジネスモデルが勃興してきた。特に韓国を中心としたオンラインゲーム業界は、やはり日本への参入が難しい中、アジアを中心に大きなマーケットを形成するようになる。これに欧米の SNS の流れが加わり、2007年には Facebook から、 同SNS内でさまざまなアプリケーションが開発できるAPIが公開された。

こうした流れは、重厚長大産業となったコンソール向けゲーム開発業界に対して、ある種のアンチテーゼを投げかける結果となる。
身動きの軽いベンチャーが、新たなプラットフォーム上で次々と新機軸を打ち出し、早いサイクルで、新たな才能が新鮮でライトユーザにも受けるゲームを開発し、ビジネス展開していく一方、旧来型のゲーム開発の現場では、豪華すぎるグラフィクスに対し遊びの要素が少ないゲームが増加し、「単なるインタラクティブ・ムーヴィーにこんなに高いお金を払えない」というユーザからの批判もみられるようになる。

このような流れの中、日本のゲーム開発、特に大手企業を中心とした産業界からも、「ゲームとは何か」という本質を問い直す声がきかれるようになる。これを理解し、実践できる人材こそが、今後日本でも世界でも求められることは明らかであるが、どうしたらこのような人材を育成できるのか。そのヒントは、アメリカにあった。

■変化するアカデミア

1999年、アメリカのカーネギー・メロン大学内に、エンターテイメント・テクノロジー・センターという大学院大学兼研究所が開設された。創設者は「最後の授業」で有名なコンピュータ科学者のランディ・パウシュ氏である。
メディアテクノロジをエンタテイメント産業界に活用すべく設立された同研究所が、産学連携分野としてゲームを積極的に取り上げたのはごく自然な流れであった。パウシュ氏は、Smalltalkベースの開発環境「Alice」を開発し、学生や研究者がごく短期で簡単なゲームのプロトタイプを作成できるようにした。これにより、ゲームにおける様々な仮説を、多数の実験により検証可能となり、エンタテイメントとしてのゲームを学術的な研究分野へと昇華させる大きな原動力となった。

ここに当時、大学院生として在籍していた Ron Carmel と Kyle Gablerが、あるプロジェクトを立ち上げた。「experimental gameplay project」と名付けられたこのプロジェクトでは、「考えてから作る」から、「とにかく大量のゲームを作ってみてそれから考える」という逆転の発想によるプロジェクトである。ここで彼らは、ゲーム開発に際し、ある縛りを設けた。これが極めて独特である。

・各ゲームは必ず「7日間以内」で完成させること 
・グラフィック・サウンド・プログラミング・ゲームデザインなどのあらゆる作業を全て「1人」で行うこと
 ・参加するデベロッパは「ある共通のお題」でゲームを作ること

ゲームの各要素を丹念に仕上げることよりも、まず「ゲームとしての全体像」を早いサイクルでプロトタイプとして完成させることを優先し、要素の磨きこみはあとからでもいい...という発想である。当時コンピュータサイエンス分野で急速に注目が高まってきた「XP」「アジャイル」といった開発手法の応用例とも言える。ちなみに、開発は Flashによって行われた。

当然ながら、これによって開発されたゲームの多くは、彼ら自身が述べているように大量の「クソゲー」(非常に質の低いゲーム)を生むことになるが、一方で参加者は、繰り返しタイトなスケジュールの中で手を動かして開発プロセスを経験することで、徐々に「ゲームとしての最小構成要素は何か」「限られた時間とリソースの中で何を優先させるべきか」「新しいアイデアをどのように生み出し、盛り込んでいくか」といったノウハウを蓄積させていくことになる。
2005年、両氏がこのプロジェクトの成果として、GDCにて"Tower of Goo"を発表すると共に、experimental gameplay project自体について発表すると、産業界でも瞬く間に大きな話題となる。

先述したように、ビジネス現場の開発プロセスでが肥大化・長期化せざるを得ない中、イノベーションが生み出されにくい状況であり、これを打破する手法のひとつとして高い注目を集めるようになる。

これにより大手ゲーム企業に就職した彼らだが、早期のサイクルに慣れた彼らは「こんな官僚的なところではイノベーションが起きるのに時間がかかり過ぎる」という理由からすぐに退職。
2D boy という会社を立ち上げ、 "Tower of Goo"の改良版"World of Goo"を発売し、同年のインディーズ・ゲームの国際コンペで最高賞を受賞し、ビジネスとしても成功を収めた。この成功事例が欧米の若者を勇気づけ、ブラウザや手軽なところから早期に繰り返し開発・公開する流れへと発展する。スマートフォン上でのゲーム開発で早期にビジネス的にも成功を収める事例が増加してきたが、かれらはまさにその先駆者といえる存在である。

■ノルディックゲームジャムからグローバルゲームジャムへ

このような短期サイクルでのラピッド・ディベロップメントは、気軽に作れ、ある程度の失敗やミスを許容し、その上で多くの人の評価をフィードバックできる環境が必要である。
Ron Carmel と Kyle Gabler は学生の頃にこれを体験できたが、大企業内でビジネス的な成功が必要とされる環境ではそれが許されない。「experimental gameplay project」 に触発された業界人の中には、わずかな時間でも企業活動とは離れ、自由に自分の腕を試したいと考える業界人も徐々に表れてきた。ちょうどこの世代は、MODに熱狂した世代でもあることが興味深い。
音楽のJam Sessionと同じような考え方で、2002年頃から、「ウデに覚えのある何人かがその場限りで集まり、週末の短い時間で何か1本作る」という「Game Jam」という動きが欧米で小規模に始まっていた。

これをある程度規模を大きくし、最初に開催された産学連携イベントが、2006年から始まったノルディック・ゲーム・ジャム(Nordic Game Jam)である。
これが注目されたのは、ゲーム開発を短期で行えるようなミドルウェアというタイプの開発環境でビジネスを行う Unity社がスポンサーとしてついたことが大きい。事実、既にこの当時、大規模コンソールゲームは、ミドルウェアの力なくしては開発できない状況にあり、こうした企業群の存在感が高まっていた。この中で、コンソール機から webまでの多くのプラットフォーム向けにポータブル(移植が容易)な開発環境の提供を始めた同社は、多くのインディーズたちや業界人にその存在を知ってもらう必要もあった。
これにより、PC上でも流麗な3Dグラフィクスや複雑なAIがFlashレベルで容易に開発が行えるだけでなく、これによるプロトタイプを簡単に企業内のコンソール向けパッケージに展開できる可能性を、開発者に示したのである。

このイベントは回を重ねるごとに全世界の注目を集めるようになり、イベントのフォーマットをワールドワイドに展開できるようしたのが、Global Game Jamである。日本では言葉の壁もあり注目度は低かったが、世界的にはこれに参加することがリクルーティング活動のひとつとして認知されており、大企業の注目も高い。
特に、ゲームの本質を作り出すプロデューサ、ディレクタ、ゲーム・デザイナーにとっては、自分の力量を発信するこれまでにない機会であり、学生にとってもこうしたオープン・フォーマットを知り、経験することはまさに今後のゲーム産業をいち早く垣間見ることのできるチャンスである。

■むすび

「小さなものを早いサイクルで大量に作った方が、新しいタイプのゲームが次々と生まれやすい」ということが証明されようとしている。
経営学の世界ではよく知られていることだが、大きな企業が自己改革を行うより、小回りのきく小規模な集団や個人達が芽吹き、新たな流れを作っていく方が、時間的には圧倒的に早い。このようなサイクルで動ける人材を育成するには、Global Game Jamのようなフォーマットで学生のうちからトレーニングされていることが、近い将来、大きなアドバンテージになるであろう。
本項の結びとして、既に世界的ヒーローとなった Kyle Gabler が、Global Gama Jam 2009において行ったキーノートスピーチの一節を掲載する。「48時間で1本のゲームを 完成させる7つの手法」というテーマであるが、今後のゲーム開発の基準ともなる、示唆に富んだ7つのTips である。

・たった 48 時間で作ったゲームに何が期待されているかを自覚しよう
・ユーザが簡単にゲームの本筋をプレイできるように工夫しよう
・アーティスティックなテーマを絞ろう
   >グラフィックスはもちろんタイトルや音楽選びは絶大な威力を発揮する
・まずゲームをテストプレイできる状況に持っていこう
   >絵や音の質はゲームの本質ではない
・なんといっても作ることを楽しもう
・ゲーム要素の「調和」を最優先に
・自分の開発するものに「恋に落ちるな」
   >想い入れが強すぎるとゲームは「完成」しない

0 件のコメント:

コメントを投稿