2010年6月14日月曜日

ゲームAIコンペティションの新展開

近年,世界各地の研究機関がデジタルゲームのAIプレイヤーを開発しては順位を競っている.IGDA日本でもこれまでにSIG-AIでパックマンについてSIG e-sportsでStarCraftについて紹介している.本稿ではこの動向を研究者集団の視点からまとめてみたい.
ゲーム研究のスピードは早く,各地の研究機関が一つの学問領域を共有することは容易ではない.しかしゲームAIコンテストを例として,各国のゲーム研究機関がいくつかの目標を選び,国際的な競争を進めていることが見えてくる.

国境を越えた開発競争

国内のゲーム産業では「研究開発で何をすべきか」「学生や開発者が学習すべき内容は何か」という目標がある程度共有されている.たとえばCESAが出しているCESAゲーム開発技術ロードマップはこれまでの動向や今後の指針を示し,毎年更新されていく.こうして短期的な指針が示されることは大きな意義がある.
その一方で,アカデミックな研究者が進めているのは,まだロードマップができていない領域を開拓する国際的な競争である.この競争とは自由な発想を競いあう多様な競争もあれば,国境を越えて研究開発の精度を争う競争もある.後者の場合,世界で共通のルールやゴールを共有しなければ,競争することもできないだろう.

チェス,将棋,ロボカップ,そしてデジタルゲーム

コンピュータ開発の歴史において,ゲームは「これから何を解決すべきか」というゴールを提示する役割を担ってきた.たとえば「コンピュータチェスで人間に勝つ」ということは重要な問題だったし,いまでも「コンピュータ将棋でプロ棋士に挑戦する」という情報処理学会の取り組みはチェスの試みをさらに延長しているといえる.このゲームはボードゲームに限らず,スポーツにも広がっている.「西暦2050年までに、人間のサッカーの世界チャンピオンチームに勝てる自律型の人型ロボットチームを作る」というロボカップの取り組みもよく知られている.最近のゲームAIコンテストは,こうした研究者集団の課題設定がついにデジタルゲームにまで達したことを示している.
将棋やロボカップには長年の蓄積があるが,デジタルゲームを研究競争のテーマにするようになったのは最近のことだ.たとえば学会誌Communications of the ACMでは2002年にゲームエンジンを学術研究に導入する特集が組まれ,その中ではQuake以降のゲームエンジンがロボカップに劣らぬ人工知能のテストベッドになりうることも解説されている.しかしこのころはまだ国際的な開発競争ははじまっておらず,多くのコンテストは00年代後半からはじまっている.

代表的な種目

現在,いくつかの研究グループがそれぞれ独自の問題を設定し,教育研究目的用に開発キットを配布してはコンテストを開催している.以下に,代表的なゲームAIコンテストと関連する動画を以下に紹介する.
Ms. Pac-Man Competition
ミズパックマン(のクローン)を操作して人間の最高記録に挑戦するAIコンテスト. イギリスの研究者が主催し,3年前から開催.

余談だが,Ms.Pac-Man大会の提唱者はIEEE-CISのトップでもあるので,今後も同大会を中心としてコンペティションと論文発表は継続されるだろう.
Mario AI Championship
マリオブラザーズ(のランダムにレベル生成をおこなうクローン)を操作するAIコンペティション.昨年から開催.

2K BotPrize

BIOSHOCKを作った2K Australiaがスポンサーとして賞金をだしているプログラミングコンテスト.Unreal Tournament 2004 のデスマッチ形式の対戦で,人間に近い振る舞いをするbotを審査員が選定する.2009年大会では5チームはいずれも審査員全員に人間だと思いこませることはできなかったが,少なくとも審査員の一人はbotだと見破られなかったという.
The Simulated Car Racing Championship

イタリアの研究グループが主催する自律レーシングカーコンテスト.3年前から開催.
StarCraft RTS AI competition
カリフォルニア大学サンタクルーズ校の研究者が主催するコンテスト.公開されているAPIを使って製品版のスタークラフトを世界選手権ルールの下でプレイする.今年から開始.カリフォルニアの他,欧州でも開催が予告されている.これについては後述する.

ゲームAIコンテストのメリット

ロボカップが社会的に認められているように,これらのゲームAIコンテストにも教育効果や社会への還元が期待できる.まずゲームAIを開発する中で,アルゴリズムやAPIプログラミングやリアルタイム処理,あるいは自律型ロボットプログラミングについて知見を深めることができる.
またAIを作って論文を書くだけでなく,世界を相手に競うというのは学生やアマチュア開発者にとって得がたい経験だ.とはいえ,これだけのイベントを研究機関だけで主催するのは無理なので,企業の協力も得ながら国際学会の大会の中のイベントとして開催される場合が多い.すると学生にとってはコンペティションと国際学会の両方に参加できる貴重なチャンスとり,専門家と意見交換をおこなう機会にもなる.
また,(いくつかの例外はあるが)教育研究向けに開発環境が無料公開されており,複数の言語を選べる.こうした対等の条件で競えることは重要で,本家の提唱者や主催者ではないアマチュア開発者や海外の大学の健闘につながっている.たとえばゲームAIの研究者層が薄い日本でもFPSで対等な競争をするのは不可能ではない.実際に,立命館大学知能情報学科知能エンターテインメント研究室のRuck教授のチームがIEEE Evolutionary Computation 2009 のイベントでMs. Pacman AIコンテストに優勝,同年IEEE Symposium on Computational Intelligence and Games (IEEE CIG-2009)ではMs. Pacmanで優勝,さらに2K Bot Prizeでも準優勝という世界に通用する成績を収めている.
こうしたゲームAIの研究開発は,より面白い対戦,より適切な強さのAIプレイヤーの開発へとつながることが期待されている.さらにゲームAIコンテストの見逃してはならない魅力は,最強のAIプレイヤーとトッププロとの対戦が計画されていることだ.

トッププレイヤーへの道: スタークラフト

かつてはトッププロと人工知能との対戦は,チェスや囲碁などのボードゲームでしかありえなかった.しかし,近年のe-sportsの発展により,デジタルゲームでもプロリーグや世界選手権が可能になり,いよいよAIプレイヤーがe-sportsのトッププレイヤーに挑戦する段階が視野に入ってきた.
トッププロとの対戦への期待が膨らむのは,やはり今年はじまるスタークラフトのAIコンペティションだろう.日本でも以下に紹介されているのでご存知の方も多いのではないか.
この背景について補足しておこう.スタークラフトというと韓国のプロリーグの盛況が報道されることが多いが,北米にもアクティブなコミュニティがあり,たとえばBlizzardの拠点でもあるカリフォルニアでは昨年UC Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)でスタークラフトで学ぶゲーム理論の授業を開講しているほどだ.その中では全米チャンピオンの現役学生がゲスト講師として登壇している(YouTube動画).
舞台となる国際会議AIIDEについては昨年に本ブログでも紹介したが,昨年の時点では一年でここまで体制が整うとは予想できなかった.今回のゲームAIコンペティションを主催するのはUC Santa Cruz (カリフォルニア大学サンタクルーズ校)のラボで,中心人物は同校の大学院生だ.彼らの熱意がなければこれほどの短期間でイベントが開催されることはなかっただろう.
以下にこの一年の経緯を示す.
  • 2009年09月:  国際会議IEEE SIG 2009にて Ben WeberらがRTSのリプレイデータのデータマイニングによる戦略予測について発表.
  • 2009年10月:  国際会議AIIDE 2009にて Ben WeberらがRTS向けエージェントアーキテクチャについて発表.
  • 2009年10月:  Ben Weberが StarCraft用のBroodwar APIを公開
  • 2009年11月:  対戦用のフォーラムを開設,一般向けに告知公開.APIをJava, Python, PHP, Haskel, Rubyに対応.
  • 2009年12月:  bot動画用YouTubeチャンネル開設.LUAに対応.対戦のエントリーが50を越える.
  • 2010年01月:  コンテストについてBen Weberが講演
  • 2010年03月:  AAAI(全米人工知能学会)が国際会議AIIDE主催者としてBlizzardからコンテンツ利用許可を取得.さらにBen Weberの協力を得たヨーロッパの研究者がIEEEの国際会議Conference on Computational Intelligence and Games (CIG)で制限ルールによる「CIG 2010 StarCraft RTS AI Competition」の開催を計画し,Blizzardから許諾を取得する.
  • 2010年09月:  予選ラウンド開始(予定)
  • 2010年10月:  AIIDE2010(October 11-13, Stanford University,)にて決勝大会.トッププレイヤーとのエキシビションマッチ(予定)
リンク先を見てもらえればわかるように,ソフトウェア開発配布から取材対応や講演活動まで,すべて博士課程の大学院生がリーダーシップをとっていることがわかる.いわば彼らは大学院の支援の下で,在学中から最前線の研究活動を世界的なイベントとしてプロデュースする経験を積んでいる.独創的なアイデアを持った若手が短期間のうちに国際的な研究シーンを切り開いていくのはゲーム研究ならではの現象だろう.
UCSCは外部から有力な研究者を集めてデジタルゲーム専攻の大学院を設立したことで注目されている(BRUTUSのPS3特集でも紹介された)が,教授陣だけでなく若手院生が研究シーンをリードすることで,同校の取り組むゲーム専門家人材育成が具現化しようとしている.

まとめと展望

新たな研究分野を開拓するには,その研究分野がどの方向に進むのかという展望を持ち,何処に進むべきか,何をするべきかが研究者集団によって決定される必要がある.しかしゲームAIの応用範囲は広く,またゲームデザインによって求められる性質も異なる.そのためスタンダードとなる問題を立てることは難しい.しかし,マリオからスタークラフトまでいくつもの問題が各地の研究リーダーから提唱されたことで,ゲームAI研究にジャンルの多様性がもたらされた.さらにコンペティションが国際学会と同時に開催されることで,各地のゲーム研究機関は国際的な開発競争という新たなステージに入ろうとしている.
今後はトッププレイヤーと協力してAIプレイヤーの評価を行うことも予想される.トッププレイヤーはどのような超絶スキルを持ち,AIはどうやって対抗するのか.いまのところ日本国内でゲーム研究開発とe-sportsプレイヤーとの連携は,まだ発表数は数件に止まっている.全国ランキング入賞者を対象者とした関西学院大学での研究や電気通信大学での今年3月の研究発表とエキシビションマッチが代表的だが,まだ研究分野として確立されたとは言い難い(学生に依存したテーマ設定だと卒業によって研究が継続されない場合がある).これから日本独自の形態を確立することも必要だ.
こうしたゲームAIの事例を見ることで,他の分野においても,研究者集団/現役学生/トッププレイヤー/ゲーム産業のそれぞれが異なるアプローチでゲームという場に参加する方法をさぐることができるのではないだろうか.

6 件のコメント:

  1.  記事の中でも紹介したラック教授のゲームAIに関する2本の記事が夢ナビWebに掲載されています。 http://www.ci.ritsumei.ac.jp/newsTopics/news.php?id=80
     あと書き忘れましたが、AIプレイヤーの研究開発がカバーする範囲はゲームAIの中の一部分です。この領域をやっていないから国際的に通用しないというわけではありません。ゲーム研究の範囲は広いので、これ以外の領域で勝負するという選択もありえます。(実際、教育利用とか社会科学にフォーカスする戦略をとっているゲーム研究機関もあります。)

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  2. 日本のCEDEC2010でも、コンピュータ囲碁プログラム同士の対戦を行うと発表されました。
    http://cedec.cesa.or.jp/2010/event/challenge/
    (本SIGはCEDECには直接タッチしていないので、テーマが重なったのは偶然です。それだけ需要の高いテーマだということができるでしょう。)
    国内のゲーム産業においても教育・人材育成に力を入れてきたということがわかります。
    コンピュータ囲碁がカバーするのはゲームAIの広い領域の一部分に限られますが、今後の取り組みに注目したいと思います。

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  3. 新展開だけでなく、伝統ある選手権についても補足しておきます。現在ではゲームAIは独立した学問分野ですが、各地の学校でとりいれられ、世界選手権を継続させてきた伝統的な種目からも学ぶところがあります。
     JAIST(北陸先端科学技術大学院大学)では,開学20周年記念として2010年9月24日から9日間に渡り,国際コンピュータゲーム協会(International Computer Games Association)のコンピュータチェス世界選手権,コンピュータオリンピアードを開催します。
    http://www.jaist.ac.jp/ICGA-events-2010/
     Deep Thoughtなどを輩出したコンピュータチェス世界選手権はもっも歴史のあるAIテスト種目と言ってよいでしょう。
    http://www.jaist.ac.jp/ICGA-events-2010/championship/
     コンピュータオリンピアードで、これだけ数多くのボードゲームの種目で対戦が繰り広げられるのは日本で初めてではないかと思います。
    http://www.grappa.univ-lille3.fr/icga/games.php?lang=3

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  5. スタークラフトAIボット対戦に日本企業から参戦
    ルールも公表され、参加募集が始まった「AIIDE 2010 StarCraft AI Competition」ですが、日本企業からの参加登録がありました。
    http://eis.ucsc.edu/StarCraftParticipants
    参加されるのはSquare-Enix Research Centerの外国人の研究者の方のようです。
    他の出場者は大学や国の研究機関です。このコンペを開発したカリフォルニア大学サンタクルーズ校、最大規模のゲームAI研究者グループを持つアルバータ大学(http://games.cs.ualberta.ca/)、フィンランド気象研究所など。そこに日本の一企業の研究開発部門が参戦しているのは印象的です。
    この学会を主催する人工知能学会AAAIは基礎研究の発表が多いのですが、AIIDEに関してはエンターテイメント研究が数多く発表されます。これをきっかけとして日本企業の研究投資が世界に注目されることを期待します。

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  6. IEEE-CIG および AIIDE が終わり、それらの講評も行われました。ネットで見れる情報としては、以下のものがあります。

    立命館大学 知能情報学科 「本学科のチームがIEEE CIG 2010 ゲームAI大会にて2位と3位」
    http://www.ci.ritsumei.ac.jp/newsTopics/news.php?id=84

    The Awakening of Conscious Bots: Inside the Mind of the 2K BotPrize 2010 Winner
    http://aigamedev.com/open/articles/conscious-bot/
    AiGameDev.com に寄せられたIEEE-CIE 2KBotPrize優勝者の解説です。

    StarCraft AI Competition Results
    http://bgweber.com/starcraft-ai-competition-results
    AIIDEのコンペを主催した大学院生によるまとめです。
    優勝したStarCraftボットがeスポーツプレイヤーと対戦してますね。

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