2011年に東京工科大学で開催された「GGJ東京」で、スタートに合わせて、新清士が、基調講演「国内外のゲーム産業と教育事例」をさせていただいています(
USTREAMアーカイブ)。その講演要旨は文部科学省の報告書に収録されています。以下にその全文を転載しておきます。
なぜ、Global Game Jamが注目すべき重要なイベントなのか、どういう背景から登場することになったのかを紹介している内容です。なぜ、インディゲームはこの10年で台頭してくるようになったのか、GGJに近いコンセプトへと発展することになったカーネギーメロン大学のプロジェクトなどを紹介させていただいています。
長文ではありますが、ご参照いただければ幸いです。
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■文部科学省ポータルサイトの 東京工科大学グループ成果報告
「平成22年度 産学連携による実践型人材育成事業−専門人材教育推進プログラム−」 報告書「ゲーム産業における実践的OJT/OFF-JT 体感型教育プログラム」より
4.2 国内外のゲーム産業と教育事例
− GGJ2011 東京サイト 基調講演主旨 −
IGDA 日本支部 新 清士
今回開催される Global Game Jam2011 に、日本から150名もの参加があるということは、今後世界のゲーム史を見てみても、極めて重要な出来事として記憶される可能性が高い。
というのも、今年はゲーム産業、ゲーム開発において、大きなパラダイム・シフトがまさに起きつつある時期だからである。パラダイムとは「世界をどのように見るか」、パラダイム・シフトとは「世界の見方、とらえ方が変わる」ということである。パラダイム・シフトが起きているときは、それに巻き込まれている人は、パラダイム・シフトが起きていること自体自覚することが極めて難しい。
ゲーム産業に関しては、パラダイム・シフトは常に、新たなコンソールマシンの開発と、そのハードウェアの特徴を活かしたゲームタイトルによってもたらされた、いわば「企業側からの提案」として起こってきた。このパラダイム・シフトに関与するには、企業側にいなければ関与することはできない。しかし、Global Game Jamは、自分さえ望めば誰でもこのパラダイム・シフトに関与できるという、これまでに無かったイベントである。
Global Game Jamの重要度は、現状のゲーム開発をとりまく様々な問題や危機意識を共有する、特に現場のクリエイターから認知が広がってきており、これはユーザの不満とも合致する。企業ではなく、ゲームに実際に触れる側に充満したムードが、一気にシンクロクロニシティをよび、一気に勢いづくタイミングなのである。
といっても、Global Game Jamで、コンソール機の開発が行われるわけではない。参加者はいつも手慣れたツールや開発環境を使い、主にPC上で動作するゲームを作る。出来上がったゲームは専用のwebサイトにアップロードし、ユーザがこれをダウンロードしてプレイするというイベントである。しかも、これが直接ビジネスになるわけではない。
にも関わらず、なぜこの世界同時多発イベントがこれだけ注目すべき存在なのだろうか。これを理解するには、ここ10年ほどのゲーム開発をめぐる動向を俯瞰する必要がある。