2009年11月13日金曜日

コンピュータサイエンスにかける橋: Randy Pausch と大学改革

先日,カーネギーメロン大学で「Pausch Bridge」の献呈式が行われた.故ランディ・パウシュ教授の名をつけた橋である.YouTubeのカーネギーメロン大チャンネルでは,当日のスピーチおよび遺族らによる橋の渡り初めの様子が公開されている.



ここで追悼されている故ランディ・パウシュ教授が膵臓ガンのため死去したのは2008年7月25日(米国時間)のことである.ガン宣告後に行った最終講義がYouTubeで注目され,その書籍版が全米ベストセラーになったことはご存知の方も多いと思う.しかし,本人の業績については漠然と「バーチャルリアリティーの第一人者」と紹介されてゲーム開発関係のことが紹介されてこなかったので,ここではゲーム開発との関係において氏の功績を紹介したい.



(本文は12月11日に開催される情報処理学会 コンピュータと教育研究会 102回研究発表会での発表内容と一部重複する部分があります)

教授の47歳の早すぎる死はゲーム業界から学会,一般紙まで各地で報道されている:

ゲーム産業への切り込み隊長

パウシュ教授の献身的な活動は大学外においてもよく知られており,SIGGRAPHの委員としての活動のみならずGDC(ゲーム開発者会議)でのIGDA Academic Summitを組織して産業界と学界の橋渡しをおこなっていたことをラフ・コスターも回想している.また,大学の長期休暇をとって Electronic Arts 社などのトップ企業に数ヶ月勤務したことは「最終講義」でも紹介されているが,その経験を彼が公開した報告書は,現在でも産学連携の貴重な資料となっている.
それまでにも北米にはゲーム専門学校は存在していた(たとえばDigipenとか)が,大学や大学院で高度な専門教育を受けた人材をリクルートするゲーム企業はなかった.いまでこそアメリカのゲーム企業は全米トップの大学でリクルート活動やインターンシップ受け入れを実施しているが,そのためにはまずセンター長であるパウシュ教授自らが大学の人材の価値を産業界に示すとともに,実社会で必要とされる能力とは何かを(机上で考えるのではなく)現場から大学へと持ち帰っていたのである.

コンピュータサイエンスの改革

パウシュ教授の功績はたんにイベントでの橋渡し役にとどまらない.彼は全米トップレベルであるカーネギーメロン大学のコンピュータサイエンス(計算機科学)の授業に「オブジェクト・ファースト」の考えを導入し,さらに「社会に出て活躍できる人材育成」という概念を導入した.そしてコンピュータサイエンスに「講義形式で教え,テストの点数で評価する」というやり方だけではなく「プロジェクト開発に参加し,そのプロセスを評価する」という環境を導入した先駆けでもある.パウシュ教授がコンピュータサイエンスの授業としてはじめた仮想世界の構築を行うプロジェクト型教育は,さまざまな専門分野の人たちと協調してプロジェクトを推進できる人材育成として,ゲーム研究開発以外の分野からも調査団が訪問する先進的な教育プログラムである.また,教授が開発したビジュアルプログラミング言語(キーボードを使わなくてもできるプログラミング言語)Aliceは全米の大学のコンピュータサイエンスの学科の一割で導入されている.



ゲーム専門学校では企業が今使っているツールに習熟することに特化しがちだが,そのスキルが次世代機でも役立つ保証はない.それに対して,こうした次世代のための実験的なツールも開発公開しながら教育を進めるところは大学院ならではのアプローチだろう.もっともこうした実験環境は,プロのコンテンツに比べて(機能はともかく)UIやコンテンツが貧弱な場合も多い.だが,Aliceの場合はEAからSimsのコンテンツの提供を受けることで開発中の次期バージョンでは本格的な環境が整うことになっている.

プロジェクトの管理と継承

パウシュ氏は多くの人材を育てた教育者であると同時に,組織経営者でもあった.氏のプロジェクト管理の実践教育や時間管理の講義は名物講義にもなっているが,これは部局を率いる教授はマネジメントにおいてもまた一流であるという実例であろう.



そして氏がリーダーを退いたあとも後継者はプロジェクトを精力的に展開しており,停滞を感じさせない.修了生によるシリアスゲームのベンチャー企業たちあげ,ETCの大阪進出など多くのプロジェクトが前進しているのは,リーダーの名声に依存しない体制ができていることを伺わせる.(リーダーしか表に出てこず,後に人材が育たないような組織は大学では珍しくない.)

氏の業績をあらためて振り返ると,コンピュータ科学,バーチャルリアリティーの研究および教育改革での実践,さらに産業界の現場に(学生を押し込むのではなく)自ら入り,次世代の道を開くことに成功した得がたいリーダーだったということができる.
今後,ゲーム開発人材育成の教育者はいかにあるべきかを考えたとき,パウシュ教授の仕事はモデルとして残り続けることだろう.

付記: Pausch教授の学問上の足跡については,ACM SIGSCE08での基調講演「Building Bridges: A Tribute to Randy Pausch」で当時の写真も使ったスライドにまとめられている.
日本語で読めるPausch教授の著述は,「最後の授業」書籍版の他に日本語字幕つきYouTube動画が公開されている.また,CACM記事の日本語訳がACMよりPDFファイルで公開されている.

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