2022年1月3日月曜日

2021アカデミック・レビュー(上): ゲーム学における最大の論争

アカデミック・ブログ主筆の山根です.あけましておめでとうございます.

本サイトはゲーム研究・ゲーム教育について情報発信を続けてきましたが,2021年の更新は停滞していました.これはコロナ禍によってIGDA日本の勉強会(および懇親会)が開けなくなったことも大きいですが,本アカデミックSIGにとっては,執筆以外の活動が増えた1年でした.具体的には,「gaming disorder」(ゲーム症,ゲーム障害,ゲーミング障害,執筆時点で公式日本語訳は未定です)についてウェブでの情報発信よりも直接的な社会的活動に終始した1年でした.2021年を振り返るこの機会に,ゲーム研究で最も問題となった概念の一つであるこの議論の経緯をまとめてみます.

2021年,IGDA日本アカデミックSIGの名前を出しての著述活動は以下の通りです.

(この他の仕事として,ゲーム開発者初年次教育と『eスポーツの科学』もありますが,それらは単独での仕事ではないので省略します.)ただしこれらの論争の中では,情報源を示してもその発表場所や学会の意義については説明してこなかったので,それら英語情報をどう信用すればいいのかわからないところがありました.そこで,以下では,これまでの現場での発言では紹介してこなかった論争シーン全体を筆者の視点からふりかえってみます.

香川県条例の論争を構成した多様な参加者

香川県のネット・ゲーム依存症対策条例が2020年4月に施行されましたが,本ブログはその背後にあった論争を紹介し,さらにゲーム開発者への無理解をのりこえるために2020年1-2月のパブリックコメント期間に香川県でゲームジャムを開催すると記事にしました.そしてその後パブリックコメントの水増し疑惑で条例の成立過程が全国的ニュースになり,この問題に議論や透明性が欠けていたことが多くの方々に知られるところとなりました.

こうして地方議会の問題が全国的な注目を集めるまでには,複数の異なる問題意識を持った参加者が関わっています.コンテンツ文化研究会による情報公開や勉強会,地元メディアやネットメディアが行った調査報道,それ以前から繰り返し警告されてきたゲームの悪影響報道への警戒.こうした異なる視点が香川県条例に持ち込まれていましたが,当方の立場としてはICD-11をめぐる産学の国際的な論争を念頭に置いて議論に参加していました.この国際的な議論についてもこれまで国内での説明が無かったので,以下に整理してみます.

学会での議論

gaming disorderの論争でもっともよく知られているのは,第一線の研究者による共同声明とそれに続く誌上討論(ディスカッションペーパー)でしょう.以下に論争の主な記事とそのまとめを紹介します.

これらのgaming disorder論争とその余波を見ると,以下の点が特長的です: (1)オープンアクセスジャーナル(記事が無料公開されるオンライン論文誌)で論争することで世界中に公開されていた.(2)論争のどちら側も単独著者ではなく,国際的なオールスター研究者の共同執筆体制ができている.(3)gaming disorderに慎重な立場のディスカッションペーパーが出たら,米国ゲーム業界団体ESAが速報する体制ができていた.

これらの学術論争は当時の日本の学会メディアでは伝えられることはありませんでした.(これは研究コミュニティがこの論争を意図的に無視したわけではなく,後述するように日本では国内ゲーム関連学会の国際化機能が弱く,それに対してオンラインコミュニティの個人的な伝達の方が伝播力が強く学会よりも先に広まってしまうためです.)唯一の例外が,この論争に参加した共著者の一人,久里浜医療センターの樋口院長の学会誌の報告で,そこではWHO採択前に起こったことして,「世界のゲーム業界がこの件に気付いたのです。様々な方法を使って、業界がこのゲーム障害収載の阻止に動いています」と報告されていました.これを読んだときは「アカデミックな大論争を無かったことにするのか?」と思いましたが,確かに特長(3)を相手側から見ると,世界各地のオールスター研究者が共同声明を出し,それをゲーム業界団体が即座に利用するというのは連携が上手すぎてあやしい.世界各地の研究者がゲーム業界団体の手先になって共著論文を書いて,それがゲーム業界の批判キャンペーンの根拠として使われているような印象を抱いても不思議ではないでしょう.しかし,各地の第一人者の問題提起をゲーム産業の策謀であると考えるのは現実的ではないでしょう.むしろゲーム業界が英語論文を正しく活用しているのならそれは傾聴に値するのではないかと本論では考えます.

さて,このように多くのの分野にまたがる国際的な議論が行われましたが,結局のところ学者の間で決着がついていない状態でICD-11草案が採択されました.このことは地球規模の混乱を起こすのではないか,そしてICD-11の公式日本語訳ができて有効になる前に,いちはやく独自解釈の予防法を施行した香川県条例は,そのトップランナーだったのだと筆者は考えています.

ゲーム・エンタテインメント専門家コミュニティでの議論

gaming disorderをめぐる国際的な論争は,上記の誌上討論だけではありません.海外のゲーム開発者の勉強会やゲーム教育の専門家コミュニティでも解説・現状分析・提言が行われてきました.主な英語勉強会・ゲーム開発者団体・日本語情報を列挙します.

  • 2017.03: GDC17: Throwing Out the Dopamine Shots: Reward Psychology Without the Neurotrash 「ドーパミン説を捨てよう: ニューロトラッシュ(脳神経のゴミ広告)抜きで報酬の心理学教えます」https://www.youtube.com/watch?v=xkg9ocYDLr8
    世界最大のゲーム開発者の勉強会であるGDC(Game Developers Conference)では数多くのセッションが行われますが,これはその一つ,Epic Gamesで働く報酬心理学の博士による講演で,大会後に動画が無料公開されています.
  • 2018.01: Higher Education Video Game Alliance Opposes World Health Organization’s ‘gaming disorder’
    ゲームの学位プログラムを持つ大学が集まるHEVGA(ビデオゲーム高等教育機関連合)による声明(藤本徹による日本語訳)
  • 2018.01: IGDA(国際ゲーム開発者協会)ディレクターブログ「The WHO’s Gaming Disorder Proposal is a Danger to IGDA Members
  • 2018.10: CHI Play '18 基調講演 Sex, Lies and Videogames: Why Videogames Still Struggle to Overcome Moral Panic「ビデオゲームがいまだにモラルパニックを乗り越えるのに苦しむ理由」,クリス・ファーガソン
    最大最古のコンピュータ学会ACMの中でもゲームに関する発表が多い国際会議CHI Playの基調講演で論争の主要著者の一人が登壇しました.
  • 2019.03: GDC19: When the Fun Stops: The Science of Addiction「楽しさが止まるとき: 中毒の科学」,アンドリュー・シュビルスキー https://www.youtube.com/watch?v=vVwu4RDChsY
    同じく論争の主要著者がGDCでゲーム開発者に向けて登壇.
  • 2019.03: GDC19: Ethics in the Game Industry セリア・ホデント「ゲーム産業における倫理とは」https://youtu.be/V3PiM1y3jRI
    邦訳本もある心理学者がICD-11でのgaming disorderについて「No Consensus」(科学者のあいだでも統一された見解がない)と紹介.
  • 2019.03: GDC19: Under the Fire: How to Publicly Discuss & Promote Games「戦火の下で: ゲームを公に議論し、促進するには」,当ブログでも「GDC19でのパネルディスカッション」として紹介しました.
  • 2021.08: GDC21: How the Industry Can Change the "Games Are Bad" Narrative. レイチェル・コワート「産業界が『ゲームは悪である』語りを変えるには」 https://www.youtube.com/watch?v=vVwu4RDChsY

これらの学会討論以外の場で行われたコミュニケーションの特長としては,(1)英語圏ではゲーム業界団体(ゲーム会社の団体である)ESAとは別に,ゲーム開発者の勉強会やコミュニティでも問題提起が行われている,(2)声明を出すのも業界団体(大企業の代表)だけでなく,ゲーム開発者教育のHEVGA,ゲーム開発者団体のIGDAといった関連団体が学者の論争を参考にした声明を出している,(3)心理学博士が数多くGDCで講演し,それが無料公開されることで心理学の最前線とゲーム開発者コミュニティがつながっている,(4)研究者の講演の内容も,論争紹介にとどまらず,「なぜ娯楽の中でゲームが叩かれるのか」といった論争相手の分析やパニックを起こす現代社会の分析,職業倫理やデータ活用といった今後の提案まで話題をひろげている,ということがいえます.

そして日本との最大の違いは,GDC17講演に見られるように,大手ゲーム開発会社が報酬心理学の博士人材をリクルートしており,脳神経科学でどこまで解明されて,どこまでが仮説段階や誇大広告なのかという知見や,ゲーム企業が今後の解明に協力できるのではないかという提言までも業界内外で(ライバル企業だけでなく)公開できることでしょう.

企業団体と開発者コミュニティとの両輪でまわすゲーム論陣

この1年で「日本のゲーム業界は海外のゲーム業界のように情報発信すべき」という意見をよく聞きました.ESA CanadaがWHOとコラボするとか,ESAがワシントンオフィスを構えるといった社会活動は確かに素晴らしい.しかし本稿でここまで見たように,ESAはgaming disorderについて独力で批判を展開したわけではなくオープンアクセス論文に依存しています.
ですから,重要論文とそれをフォローできる人材がいなければ,業界団体だけの活動では折り目正しい批判ができないでしょう.また,ESAだけでなく勉強会や教育団体の活動が社会的な理解を深めたり日本語での紹介に繋がったことも見逃せません.業界のトップだけではなく,関連業界も含むゲーム開発者コミュニティ全体で最新知識にもとづくゲームの探求を進めていくことが重要でしょう.

次の記事では,後編として,ゲーム開発者コミュニティのボトムアップの社会活動から学んだことについてまとめます.アメリカで業界団体ESAができる以前にゲーム開発者はモラルパニックにどのように立ち向かったのか,ヒトの脳の仕組みが解明できていない状況で教科書は報酬の心理学についてどう教えるべきか.これらのアメリカのゲーム産業の経験は現代日本にとっても参考になると考えています.

0 件のコメント:

コメントを投稿