2013年7月30日火曜日

オバマ政権を支えるゲーム専門家(追記)

オバマ政権は(それ以前の政権とは異なり)ゲームを批判するのではなく,有効に活用したいという意向を持っていた.しかしそれまで大統領府にも議会にも省庁にもゲーム産業との協力関係がなかったため,ゲームの効用についてオバマ政権にアドバイスできる外部の人材が必要とされていた.

アドバイザの役割

アメリカでは第二次世界大戦のころから,科学やハイテクの専門家が中立的な視点からアドバイスを行い,大統領の意思決定を支援する「科学技術政策アドバイザ」という役職が存在する.ただし日本ではこの科学技術アドバイザのイメージが非常に悪い.原水爆開発において果たした科学者の役割(ナチスドイツから逃れてアメリカ大統領に原爆開発を進言したり,冷戦時代の核開発競争にも影響を与えた物理学者)のイメージはいまでも強いし,さらに日本国内でも原子力発電所の安全性を宣伝した学者の前例もある.ようするにゲームに出てくる悪の科学者のイメージです。
 こうした科学者不信に応えて,オバマ政権では科学技術アドバイザの選任や議事は迅速に公表されており,ゲーム産業についてもホワイトハウスでどういう会合があったかは公開され,会合がない場合はスタッフがブログで情報を開示して透明性を確保しようとしている.本記事ではそうした公開情報からホワイトハウスにおけるゲーム専門家の活動を紹介したい.

アドバイザの職務

大統領の科学技術政策決定を支援するのは,ホワイトハウスの科学技術政策局(Office of Science and Technology Policy、OSTP)だ(スタッフリスト). この科学技術政策局ではじめてゲーム領域についてオバマ政権が起用したのが,シリアスゲーム研究者(特にMMORPGにおける学習コミュニティの研究)として知られるウィスコンシン大学のコンスタンス・スタインクラー准教授で,そのポジションはSenior Policy Analystだった.
 彼女のホワイトハウスの仕事については日本国内でも紹介されており、たとえば小野「米オバマ政権のキーパーソンが語る「ゲームと教育政策」」や,USTトーク「シリアスゲームカンファレンス報告会」(15:00-17:00, 44:10-52:30の部分)では韓国で開催されたカンファレンスで行われた彼女の招待講演について報告されている.(なお,このシリアスゲームカンファレンス講演と同内容の講演動画がアスペン研究所のイベントでも公開されている.) 彼女は政府機関でのシリアスゲーム活用について講演するだけでなくホワイトハウスのブログを書いて情報公開につとめていた. その後,彼女は任期を終えて大学教育の現場に戻っており,その講義はCourseraでも世界中からオンライン受講可能である.
 そして今年、彼女の後任がホワイトハウスに任命された。彼女の次にやってきた専門家は、学者ではなくIGDAの大物ゲーム開発者だった.

マーク・デローラのキャリアとビジョン

2013年3月のGDC期間中に,ゲーム開発者のマーク・デローラ(Mark DeLoura)がオバマ政権のアドバイザに任命されたというニュースが流れた(英語,日本語).ここでは彼のキャリアを振り返りながら,ゲーム開発者と社会との関わりについて考えてみたい.
 マーク・デローラは任天堂アメリカ,SCEアメリカ,Google, Ubisoftアメリカ, THQ と多くのゲーム企業で様々なゲーム開発を率いている(LinkedInの履歴書参照).さらに彼はゲーム業界全体にまたがる草の根活動によって専門家以外にも知られていた.彼は早い時期からIGDAやGDCにスタッフとして参画し,2000年からゲームプログラミングのバイブルとも言うべきGame Programming Gemsを立ち上げた.このGemsシリーズの成功に続いて,論文誌Journal of Game Developmentの初代編集者にもなったが,このゲーム開発研究に特化した学術雑誌は残念ながら出版社の商業的な判断で廃刊になっている(当時の2000年代は大学予算削減のために多くの分野で学術出版社が廃業しており,学術書の危機(モノグラフ・クライシス)と呼ばれている).
 デローラは過去に来日講演も行っており、たとえばCEDEC2007同時開催の「CEDEC/コ・フェスタ ゲーム開発者セミナー」でゲーム開発の民主化について講演している(フォン・ヒッペルの著書に由来するこの演題はのちにUnityによって全世界に広まることになる).またCEDEC2010でも講演が予告されていたが,ちょうどこの時期にGoogleを電撃退社し,講演もキャンセルになった.そしてCEDEC2011ではあらためて欧米のゲームエンジンとミドルウェアについて講演している.この様子はファミ通.comでも「未来のゲームはどんなスタイルに? ゲームエンジンのセッションで見つけた刺激的な問い【CEDEC 2011】」として紹介されているが,彼の講演の特徴は最新の開発手法の紹介に終わらず未来のビジョンを提示するところにあることがわかる.こうした見識を買われてIndependent Game Festival の審査員もつとめており,大手パブリッシャーからインディーまであらゆるゲーム開発に貢献してきたと言えるだろう.

ホワイトハウスへの道

このようなゲーム開発と技術経営のトップ人材がホワイトハウスとつながったのは,IGDAの活動を通じてのことである.
 2010年2月にホワイトハウスの科学技術政策局がゲーム関連団体を集めて会合を開催した.この会合にIGDAからはマーク・デローラが,Global Game Jamからはスーザン・ゴールドが参加し,児童の健康のためのゲームコンペ「Apps for Healthy Kids」と,全米各地の大学を会場にしたゲームジャムの開催が決まった.そして翌3月に開催されたGDCのGame Developers Choice Awardsセレモニーの中で,大統領夫人からゲーム開発者の親書が読み上げられる
 ホワイトハウス会合から1ヶ月の短期間で,しかもGDCでもっとも盛り上がるGame Developers Choice Awardsの場に政府発表をつっこめた仕事の早さはどう見てもGDCのボードメンバーだったマーク・デローラによるものだろう(今回マーク・デローラのホワイトハウス入りにつながった業績としてやはり「Apps for Healthy Kids」があげられている).そして,ホワイトハウス会合にIGDA, GGJとともに出席したNASAをはじめとする政府諸機関にもゲームジャム開催の機運がひろまっている。

各政府機関との調整

マーク・デローラが4月から着任している役職は,ホワイトハウスの科学技術政策局の技術イノベーション部門の上級アドバイザである。スタッフリストを見るかぎりり,デジタルメディア分野では彼が唯一の上級アドバイザであり,オバマ政権がデジタルメディアのイノベーションの中でも特にゲームを重視していることが示されている.
 ちなみにこの科学技術政策局のトップには大きな権限が与えられている.オバマ大統領は選挙公約の中で,米国史上初めてのCTO(最高技術責任者)の任命を約束していた.その業務としては,市民に開かれた政府の実現に向けた各連邦政府機関との調整があげられている.2009年にその初代連邦政府CTOに選ばれたのがインド系のアニーシュ・チョプラである.2010年2月のホワイトハウス会合でNASAからIGDAまで様々な組織を召集し,2010年3月のGDCでビデオメッセージを届けたのはどちらもチョプラの命によるもので,まさに官民の各機関との調整を推進してきたといえる(チョプラは2012年に退任).
 この連邦政府CTOは同時に科学技術政策局の長官を兼任しており,つまりマーク・デローラが技術イノベーション部門の部門長に助言すれば,その上はすぐ長官兼CTOとなり,その上には大統領しかいない.この責任あるポジションでどのような活動がはじまるのか注目したい.

今後の展望

イノベーション政策はオバマ政権の重点課題だが,その中でもデジタルメディアに関する唯一のアドバイザとしてマーク・デローラに期待される役割は大きい.その一方で,科学者でも大企業経営者でもなくゲーム開発者がデジタルメディア分野を牽引するのだというオバマ政権の戦略もみてとれる.今後は,シリアスゲームを導入するだけでなく,ゲームジャムなどを通じたゲーム開発者コミュニティと各政府機関との交流も活発になると考えられる.
 そして「この人なら政策決定者に助言するのにふさわしい」という情報公開もまた多くの国の参考になるだろう.


追記: 金子勇氏を悼む

日本における開発者の社会的な位置づけについて考えると,金子勇氏のことを考えずにはいられない.金子さんは今月2013年7月6日に急性心筋梗塞で亡くなった.
金子さんとゲーム業界の接点は古い.CEDEC2000のプログラムを見てみると,当時の日本のゲーム産業・CG映画業界で活躍していた方々の名前を見ることができる.その中で,ゲームやCGとは直接関係ない「日本原子力研究所計算科学技術推進センター」の肩書きが異彩を放っている発表者がいる.それがのちに未踏プロジェクトで有名になる以前の金子さんだ.
 今日ではCEDECは巨大なイベントだが,当時はまだ開発について対外発表しないゲーム企業も多かった.(今月のGTMF2013直前インタビューでも,「やっぱりCEDECも10年以上たってかなり変わりましたよね。昔は他社に技術を公開するなんて考えられませんでしたが、今では普通になってきました。」という発言がある.) そうした時代に,プロの開発者や最先端の研究室と並んでいちはやく成果を公表していたノンプロが当時の金子さんだった.金子さん自身はゲーム企業に勤めていたわけではないが,私にとって金子勇さんはP2P開発者やHPC開発者である以前にゲームプログラマであり,自ら進んでコードやテクニックを公開しつづけた先駆者である.
 ゲームプログラマにとって,ソフトウェアとは生き物である.そのゲームが面白いかどうかは企画書を読んでも説明できず,実際にプレイしてもらうしかない.そしてどうすればさらに面白くなるのかをテストしながら磨き上げていった結果,当初の設計から別の方向に進化することもおそれない.金子さんもそうした過程を楽しむ発言をしている.
 だが金子さんの逮捕そして起訴は,日本のIT人材育成に大きな影響を与えた.特に,科学技術社会論や技術者倫理の現行教科書にはいまなお影響が残っている.高裁の無罪判決が出て最高裁が判断を示した後も,ソフトウェア開発者は著作権法違反幇助で訴えられる場合がありますと書きながら,どうやって自分の書いたソフトウェアを使ってもらえばいいのかという続きを書いていない教科書が多すぎる.これでは書いたソフトウェアを人に使わせるなという結論にしかならない.教育現場では古い教科書を一掃する努力を続ける必要がある.
 残された方々にはかける言葉もないが,訃報記事の末尾に,作者の最後のメッセージとしてフリーソフトウェアの説明文が掲載されていた.金子さんが自作ソフトを公開するゲームプログラマにもどれたこと,そして多くの人がそのメッセージを目にしたことは残された人にとってわずかな慰めである.

5 件のコメント:

  1. オバマ大統領のCSEdWeekの演説が話題になりましたが、その後Mark DeLoura の論説がホワイトハウスに出ました Games that Can Change the World | The White House: http://wh.gov/l0JiV December 13, 2013

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  2. ウィスコンシン大学のコンスタンス・スタインクラー准教授は、2014年に全米の有力校を集めたゲーム教育機関の協議会Higher Education Video Game Alliance(HEVGA)の初代ディレクターになっています。
    http://www.higheredgames.org/constance-steinkuehler

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  3. LinkedInの公開プロフィールによれば、デローラは2014年12月にホワイトハウスのシニアアドバイザーを辞職しました。
    2014年10月のWhite House Education Game Jamが彼の最後の仕事だったのかなと思います。
    http://www.whitehouse.gov/blog/2014/10/06/white-house-education-games-jam
    もっと長くやるかとおもいましたが、オバマ政権の評価サイクルはおそろしく早いです。とりあえず3年続けようといった発想がない。
    スタインクラーのように、また全米に号令をかける姿を見ることになると思います。

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  4. GDC2015でデローラによる講演が行われ、日本語報道およびYouTube動画公開されました。
    日本語報道 http://www.inside-games.jp/article/2015/03/08/85677.html
    動画公開 http://www.gamasutra.com/view/news/253174/Video_A_view_from_the_White_House_on_games_as_more_than_entertainment.php

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  5. オバマ大統領の任期の終わりにともない、オバマ政権とゲームの総括記事が出ました。キーパーソンに取材したよい記事です。
    Video games owe a lot to President Obama's administration (Jan 20, 2017) http://www.polygon.com/2017/1/20/14335040/barack-obama-gaming-president
    https://twitter.com/markdeloura/status/822571784306298881

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